病気じゃないから治さなくても良い!?日本は発達障害大国だったのか

映画界の大スター、トム・クルーズ

エジソン
アインシュタイン
ビル・ゲイツ
スティーブ・ジョブズ

などなど、この、そうそうたる各界の天才と呼ばれる人達は「発達障害」の傾向を指摘されることがあるという。

似たような話は、誰もが一度は耳にしたことがあるかと思います。

日本では、黒柳徹子さんやイチローさかなくん長嶋茂雄さんもそうであるとか、ないとか。

確かに、この方たちには突出した能力があるのは誰もが認めるところかと。

ADHDや発達障害の人は、ある意味、自分に最適な居場所が見つかれば多くの人と違い、その欠点が大きければ大きいほどに。

そして、その能力の偏りが大きい分、長所も大きく発揮できるとも言えるかもしれません。

大人の発達障害は「空気が読めない」

最近、発達障害について色々と調べています。

すると、1年ほど前の雑誌「PRESIDENT」に上記にような気になるタイトルがありました。

プレジデント誌によると

近年「大人の発達障害」に関心が高まっている。

これまで子どもの問題と思われがちだった発達障害が、実は大人の問題でもあり、職場や家庭で起きるトラブルの原因の1つとしてクローズアップされているのだ。

(中略)

しかし、学生時代までは目立った問題はなくても、就職を機に、その特性を原因とするトラブルが発生することがある。「本人の努力不足」や「家庭のしつけの問題」「上司のマネジメントの不備」ではなく、発達障害の視点からのアプローチをすることでトラブル解決の糸口が見えてくることもある。日本人の10人に1人は発達障害の傾向がある。そんな指摘をする専門家もいる。

出典:https://president.jp/articles/-/24320より

発達障害は病気ではないので「治す」ものではない!

当該記事のこの部分には、なんだか「我が意を得たり!」みたいな感じだったのでスッキリ!

確かに、学生時代にはともかく、社会へ出て症状が顕著になるというか、その他大勢でやっていればよかったことが、個別の作業が多くなることにより、自分で判断しなければいけない場面は必然と多くなるもの。

虎ノ門にある「大人の発達障害外来」の看板を掲げる「メディカルケア虎ノ門」の五十嵐良雄医院長によると、発達障害は病気ではないので「治す」ものではない、とのこと。

「発達障害の場合は基本的に薬はなく、あったとしてもADHD(注意欠如・多動性障害)用に2種だけ。
そもそも発達障害は病気ではないので、『治す』ものではない。
自らの特性を理解して得意な部分は伸ばし、苦手な分野は工夫して補えるよう練習していくしか方法はないのです」

と語られている。

なぜ日本は「発達障害大国」なのか

当該記事では、信州大医学部附属病院子どものこころ診療部診療教授の本田秀夫氏も参加されていた。

本田氏は、自身の事を以下のように語られている。

「実はかくいう僕もADHDとASDの特性があります。
予定を立てるのも苦手だし、夢中になると寝食を忘れてのめりこんでしまう。
職業を間違っていたら、確実にダメだったでしょうね。
でも医者や研究者のほとんどはASDタイプです。
こだわりの強さが強みにつながった例です」

(中略)

「発達障害を考えるとき、思い出してもらいたいのは童話の『みにくいアヒルの子』です。
白鳥なのにアヒルの群れに入ってしまった、それが発達障害の人が置かれた状況。
どんなに頑張っても白鳥はアヒルにはなれません。
『努力してアヒルになれ』と叱咤激励しても、アヒルのようには鳴けず、結局、白鳥の子は白鳥にしか育ちません。
白鳥には白鳥だけができることがあるはずで、その得意な分野を活かしていけばいいんです。
僕は一当事者としても、声を大にしてこういいたい。
発達障害ライフを楽しもう』と」(本田氏)

(中略)

「文化の差があるかもしれません。同じADHDやASDでも、ほかの国では許容されるレベルが、日本では問題視されてしまう。

日本は国家レベルで空気を読むことを国民に求める風潮があり、人々は互いに完璧を求めすぎているように思います」(本田氏)

あとがき

やはり、「障害」とつくと、それだけで色眼鏡で見てしまうのは私だけではないかと。

過去に、「痴呆症」が「認知症」と呼び変えられたように「発達障害」も何かいい呼び方がないものだろうか。

今では証明のしようもないと思うが、日本の歴史を大きく変えたと言われる坂本龍馬も発達障害だった可能性があったと言われる。

そういう意味では、昔から発達障害は存在したであろうし、変人扱いされながらも生きてきたのだと思う。

今、まさに日本の元号が平成から変わろうとしているが、自分の子供時代のことを考えても、時間の流れ方や価値観は昭和の頃とは別次元と言っていいと思う。

未だに個人やその家族の問題だとされがちな発達障害。

私たち一人一人が正しい知識を持ち、社会を変えていかなければいけないタイミングになっているのでは、と思うのでした。

ちなみに、今思い返すと私の父は今の時代であれば、間違いなく「発達障害」と診断されていたのでは?

私自身も人様とはちょっと変わっているようだし、他人事でもないようなのです。

その話はまた、別の機会に。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です