悩みから解放されるにはどうすれば良いのか?釈迦と道元禅師の教えとは

以前、「アセンテッドマスター」についてご紹介しました。

アセンテッドマスターの代表選手?と言えば、誰もが知る「お釈迦様」かと思います。

お釈迦様の呼び方も何故にこんなにも多いのだろうと思いますが、日本語に訳すからさらに複雑怪奇になっているのかもしれません。

今回は、悩みから解放されるにはどうすれば良いのか?といタイトルですが、私自身と言えば悟りをひらいたわけでもないですし、悩みや不安がないのかと言われればウソになります。

最近は、開き直って?不安は無くそうと無理に思わなくても良いかとさえ思っています。

不安を無くして「」や「」になろうとするから「逆引き寄せの法則」で不安を引き寄せてしまい、返ってなくならないのかも、とさえ考える様になりました。

不安や悩みは無くさなくても良い?

釈迦様と言えば、紀元前5世紀前後の仏教の開祖です。

日本語で本名を表すとゴータマ・シッダッタと表示されることが多いようですが、じゃあ仏陀(ブッダ)って何なの?」というと、ウィキペディアを見ると『悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。』とあります。

恥ずかしながらこの年にして、そうだったんだ、と知った次第です。

じゃあ「悟り」って何?

ということになりますが、一般的にシッダッタは、「悟り」を得たいという願望のために6年もの間、それこそ死のふちに立たされるような激しい苦行を続けましたが、苦行で「悟り」を得ることは不可能だと思い、修行を放棄したと言われまます。

そんな苦行で弱りきった身体をネーランジャラー川で清め、岸のバニヤン樹の下に座っているところに近くの村に住む「スジャータ」という娘が通りがかり、シッダッタと出会います。

あまりにも弱りきり死にそうなシッダッタを見てスジャータは、いったん村に戻り、当時とても高価であって栄養のある乳粥を作り、シッダッタに食べさせたと。

乳粥を食べたシッダッタは正気を取り戻し、川の近く菩提樹の下に座って深い瞑想に入り、夜明けの明星が輝く頃「悟り」を開いたと言われています。

誤解を恐れず言えば、シッダッタが残した教えはたくさんありますが、このスジャータから受けた「愛」を感じた瞬間こそが究極の悟りであったと思うのです。

悟りを得ようとすることがすでに「煩悩」である?

人は生きていれば様々な不安や悩みを抱えて生きています。

それも、一つ解決したと思えば、また新たな不安や悩みが生まれ、尽きることがありません。

同じく、願望や欲と言われるものも尽きることがありません。

そういう意味では、「不安や悩みは生きていればあって当たり前」、と思えば気持ちも楽になります。

最近、このブログに記事を書き続けていますが、自分自身の中でも色々調べたりすることにより、心境の変化があったように思います。

もちろん、フーチー遠隔療法®を実践していることも大きいようです。

幸いにして、同居する家族もいませんので、言葉は悪いですが家族に対する心配は何もありませんし、振り回されることもありません。

だからこそ、そう思えるのかもしれませんが、

なるようになる」とか、

慌てても仕方ない」と思えるのです。

ある意味、「執着が以前ほどなくなった」とも言えるかもしれません。

もっと言えば、人と比較することがあまり無くなったということもあるかもしれません。

嫌なこと、辛いことは起こって当たり前

そんなわけで、無欲になったかと言われれば違うと思いますが、禅宗では「作務」と言われる日常の作業のすべてが「修行」であり、ある意味では「瞑想」であるとも聞きます。

朝の暗いうちから起きだして掃除農作業に始まり、座禅を組む

そして、禅宗では食事の準備や食事そのものをすごく大事にしていると言います。

食事の準備や食べることそのものが「瞑想」になっているとも言われます。

今回、いろいろ調べている中で、それを端的に表しているのものに「典座(てんぞ)」という考え方というか、システム?があることを知りました。

典座とは、禅寺において「食」を司る重責を担う役僧のことです。

曹洞宗の開祖であり、『正法眼蔵』などでも知られる道元禅師ですが、その著書に『典座教訓』というのがあります。

その内容は主に精神的、教義的な記述が中心となっていて、食材や器物の扱いや献立を立てる際のお米をとぐ注意点などは書かれているものの、具体的な調理法には触れられていないそうです。

その究極の教えは無心になることであり

◎執着を持たないこと

◎食事を大切にすること

だと言われているそうです。

あとがき

話が回りくどかったかもしれませんが、悩みから解放されるにはどうすれば良いのかという答えは、日常生活の中にこそあるのだという事ですかね。

日々の愛ある生き方こそが「悟り」であるとするならば、毎日、家族のために愛情を注いで食事の準備をしている主婦の方が「」や「」、「悟り」の境地に近い状態なのかもしれませんね。

ちなみに、道元が禅̪師が開いた福井県の「永平寺」には、『参籠(さんろう)』と呼ばれる 一泊二日で修行僧の疑似体験ができる体験学習みたいなものがあるそうです。

春になって暖かくなったらぜひ、行ってみたいな、と思っています。

(そう思っている時点で?ですよね。思ったらどんなに寒くってもすぐ行けよ、って感じですかね。)

人生、慌てず騒がず、ゆる2ちょこ2♪で楽しんで行きたいものです(^^♪

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