身内が「がん」だと解ったらどう対応すべきか?私の場合①

今日もゆる2ちょこ2♪していますか(^_-)-☆

今に始まったことではないですが、最近は芸能人の「がん闘病」というニュースが特に多いように感じます。

そんなこともあって、今日はちょっと暗いというか、重い話題ですが、興味のある方はお付き合いくださいませ(^^♪

そろそろ、妻が「がん」でこの世を卒業してから丸10年です。

あの時にもっとこうしていれば~」という思いはずっと拭い切れずに過ごしてきました。

今は独り暮らしですので、色んな制約がなくなった分、改めて考えたり、思い直すことも多いこの頃です。

身内が「がん」だと診断されたらどうすれば良いのか?

私の妻は「乳がん」と診断されてから1年半ほどでこの世を卒業して行きました。

地元にある県立病院の女性専門外来で診てもらった時には、既に肝臓などにも転移し、診断は「ステージⅣ」でした。

数日後に一緒に病院へ出向き、ドクターの説明を聞きましたが、ドクターの「ご主人が気づいてあげられなかった責任も重い。」という一言が未だに忘れられません。

細かいことを書き出せばキリがないので割愛しますが、年末に入院したものの、既に患部を切除したりするというようなレベルではなく、手術はしませんでした。

翌2月には退院し、自宅療養をしながら「抗がん剤治療」を行い、春には体調も良くなって一旦は職場復帰します。

しかし、暑さも手伝って体力が落ち、夏には再入院し、2ヶ月ほど入院。

その時点ではがんが脳に転移しているとの診断でした。

退院後は、「今度、何か体に異変があったら緩和ケア病棟でゆっくり過ごす。」ということを本人が決めて覚悟していたようです。

退院後も「サイバーナイフ」での治療も計画されていましたが、それも難しいかもしれないということで、定期的に抗がん剤治療を受けながら自宅療養を続けていました。

最終的には、半年ほど自宅療養していた年明けのある日、意識を失って倒れ、救急搬送してもらって再度、病院へ。

一週間くらい意識が戻らなかったのだったでしょうか。

ドクターの判断で個室に入っていましたので、私は家にも帰らず、職場と病院を往復の毎日。

一ヶ月ほど病室のソファーで寝泊まりしていました。

意識が戻ってからは食事も摂れるようになって、話も普通にできるようになり、抗がん剤の治療も再開されたのでした。

今だから言えること

後付けなので、何とでも言えると言われればそうですし、たくさんの言い訳もできるかもしれません。

正直、妻がこの世を卒業して行った後は、心の拠り所というか、何を励みにして生きて行けば良いのかが解らず、自暴自棄になったこともありました。

仕事にこそ無遅刻無欠勤で行ってはいましたが、私生活は乱れに乱れて行きます。

他にも若い頃に立ち上げた会社を整理した直後だったので、個人的には経済的な問題も抱えていましたので、ただ生きている抜け殻のような日々でした。

辛うじて正気を保てていたのは、流石に母親より先には逝けないかという思いだけだったかもしれません。

全ては、自分で蒔いた種が原因で起こった結果ですし、反省するべきことしかありません。

妻の事もしかり。

事業の事もしかり。

仕事の事もしかり。

上げればきりがありません。

しかし、一つだけ今言えることがあるとすれば、妻が一時的には苦しんだであろうけれども、抗がん剤治療は拒否するべきだったのでは、という後悔です。

当時は自分自身に余裕がなく、治療の方針は妻が自身で決めていました。

もちろん、全く話し合いをしなかった訳ではありません。

妻の意思を尊重したと言えば良いでしょうか。

大病の前には前兆がある!

思い起こせば、言葉は悪いですが、妻は「成人病のデパート」みたいな人でした。

結婚直前には実母が転移したがんが原因で他界し、その看病や亡くなったことによるストレスも大きかったのでしょう。

母親が日取りまで決めて行ったのだからと、その3ヶ月後には結婚。

その直後の健康診断で子宮筋腫が見つかり、自ら色々調べて治療も手術もせず、伊豆の断食道場へ1週間の断食合宿に参加します。

当時は携帯電話どころか、インターネットも普及しておらず、会社にさえパソコン1台無い時代です。

なので、どうやって調べたのかは判りませんが、自ら選択したのです。

妻はずっと会社勤めはしていましたが、その頃から定期的に行われる健康診断はすべて拒否していたようです。

根底には幼い頃の「怪我」がずっとトラウマとなり、医者や投薬は嫌っていたようです。

当時の治療が起因になったのかどうかは判りませんが、抗生物質を極端に嫌い、アトピー性の皮膚炎にも相当悩まされていました。

結婚して間もないある日、給料日に奮発して一緒に食べたステーキが原因だと思われましたが、翌朝、顔の半分がマジンガーZの「アシュラ男爵」よろしく、紫のアザができたようになっていたこともありました。

多分、仮設の域を出ないですが、牛さんが食べていたエサに含まれる抗生物質が原因だったのかと。

友人や職場の同僚には今でいう「DV」を疑われて散々言われる始末。

アトピーに関しては、湿疹はあまり目だたなかったように思いますが、皮膚は弱く、冬になると耳たぶが切れたようになったりしていました。

俗に言う、四十肩も経験して居ます。

そして、今にして思えば50歳過ぎには間違いなく「乳がん」の前兆とも言える症状がでた時期があったのです。

あとがき

面白くも、可笑しくもない投稿ですが、似たような方がいらっしゃれば、同じような思いをして欲しくないという思いから書いています。

それが、気休めではありますが、せめてもの妻への供養にもなるかと。

長くなるので、ここで一旦打ち切り、次回へつなげたいと思います。

ここまでお付き合いいただき、感謝します。

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